• 2023年11月9日
  • 2023年11月10日

日本と世界と家族と私

 家族が社会の最小単位であることは、どなたも異存はないでしょう。

 東京では夫婦と子どもという2世代の核家族がマジョリティですが、私が研修医の時に派遣された東北地方では祖父母も加わった3世代家族が一般的でした。外来で聞く患者さんの悩みで多かったのは「本家」と「分家」の確執で、東京近郊の核家族で育った私はすんなりと直感的に理解できませんでした。

 そのときは土地の違いによるものと理解していましたが、家族構造の違いによって政治・経済システムまで異なることを発見したのが、フランスの人口学・歴史学研究者エマニュエル・トッドでした。

 彼の業績を大まかに言いますと、自由を重んじる個人主義 vs. 権威を重んじる権威主義(早くして親元から離れるか否か)、そして親からの相続が兄弟間で平等 vs. 不平等(長男が優先的に継ぐか、兄弟間で均等に分配するか)で2 x 2 = 4通りの家族構造が形成されると言うものです。

 これに従兄弟婚を許容する文化や、さまざまな家族構造がヘテロに見られる文化など、3つの文化様式が加わって合計7つの家族構造があると唱えたのですが、詳しくは成書に譲ります*1。

 日本に優位な家族構造は、先ほどのマトリクスで権威主義的で長男に優先的に相続される「権威主義的(直系)家族」で、これはドイツや北欧諸国、フランス南部にも見られる形態だそうです。

 対して自由主義で兄弟間が平等に扱われる「平等主義核家族」はパリを中心とした北部フランスやスペイン広域、イタリア中南部、ラテンアメリカが主体です。

 日本に馴染みの深いアメリカやイギリスといったアングロサクソンは、自由主義であるものの相続は親の意向が強い不平等な関係で、「絶対核家族」と言われます。

 最後に父権主義的で親元に子どもたちが住み続け、相続も兄弟間で平等になされるのが「共同体家族」であり、ロシアや中国、北ベトナムに広く見られます。

 よく日本人の生真面目さはドイツに似ているとか、アングロサクソンは究極の個人主義だとか、共産主義を取り入れたのはなぜか大農業国のロシアと中国だったと言いますが、これらは皆、家族構造の類似性・特性から来るものと考えると合点がいくのではないでしょうか。

 当然、冒頭に述べたように日本国内でも東北と首都圏では家族構造が異なりますし、地域ごとに「お国柄」があるのは、誰しもが感じることでしょう。日本の家族構造の差異と分布、結果としての経済力の違いについては、遠藤による精力的な研究があります*2。

 前置きが長くなりましたが、私がトッドの考察に強い関心を持ったのは、家族構造が政治経済に限らず各人のメンタリティにも大きく影響するはずだと考えたからでした。つまり、患者さんがどの地域で生まれ育ったか(あるいは両親がどの地域出身か)を知ることで、ある程度人生の価値観やどういうライフスタイルを好むかを推測できる可能性があります。

 しかしながら、地域・家族構造とメンタルヘルスを調べた研究は私が調べた限り、ほとんどありません。特に家族構造を巡るメンタルヘルスの問題は、家族の成員について自分の気持ちをカウセリングで決める「主観的家族観」(例えば毒親はいなかったことにしよう)、つまりカウンセリングはファンタジーに過ぎないと理解されているようです*3。

 この意見に私は全面的には賛同しかねますが、精神分析が衰退したのは、主観的に嫌いな家族を頭の中で消したところで人生は何も変わらないという根源的な問題があるからだと思います。それは仮想的な行為であって、身体性を持って生きる私たちには解釈だけでは生き方を変革できないのです。それだけ、家族構造は慣性的で容易に変わらないものと言えます。

 冒頭で私は東京近郊の核家族で育ったと書きました。両親含め親族はドイツやアメリカ、古くはフランスなどに留学・滞在した家庭だったので、大きな影響を受けました。私自身もいくらか海外交流経験があり、かなり個人主義を是として育ちました。ところが、祖父母の家に行けば、彼らは長男と一緒に暮らし、旧態依然とした日本の権威主義的家族の姿が垣間見えたため、私は幼児期には戸惑い、思春期には反発を覚えました。

 とはいえ、私は社会人になっても確固とした家族像を確立したわけではなく、その場の状況に流されてきてしまっただけではないか、厳しい見方をすれば付け焼き刃的な個人主義を振り回して、日本の家族構造という牙城に虚しく挑んだだけだったのではないかという虚無感を持つことがあります。同時に自分のレゾン・デートルが分からず苦しみ、失うものも多い半生でした。

 それでも自分の個性はどうにも変えられないと自分が引き受けて立つことは、環境と闘って自由を勝ち得ることに他なりません。お花畑の仲良しこよしで主体性を曖昧にして生きるのは、自他に対して不誠実だと思います。

 不完全なクリスチャンとして日常を生き、中途半端な英語で外国出身の方を診察する私ですが、それでも閉塞的な日本の家族構造に苦しむ患者さんに少し視点の違った世界観を提供できるのではないか?世界でも日本でも「家族構造マイノリティ」として暮らす私だからこそ、人口が減り外国人を受け入れなければ停滞する一途の日本に対して何か提案できるのではないか?最近はこんなことを考えながら診療しています。

出典)
*1: エマニュエル・トッド, 我々はどこから来て、今どこにいるのか? 下 民主主義の野蛮な起源 (Où en sommes-nous ? Une esquisse de l’histoire humaine), 文藝春秋
*2: 遠藤倫生, 日本資本主義の地域構造 ―人類学的下部構造からみた生産と消費―, 慶應義塾大学 総合政策学部 岡部光明研究会 研究報告書
*3: 末吉重人, 家族論の思想的系譜と家族機能を補完する社会福祉政策の考察 ―トッド『家族システムの起源』を手掛かりに―, IPP分析レポート23

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