• 2024年2月29日

AIは人のこころを癒やせるか?

 ベルギーで人工知能(AI)を用いた対話サービス「イライザ」を利用していた男性が自殺したとのニュースがありました(NHK NEWS WEB, 2023年7月28日付)。この男性は気候変動などの環境問題について深刻に悩み、このチャットボット(自動会話プログラム)を6週間用いていました。報道によると、この男性は徐々にイライザとの会話にのめり込み、ついには恋愛感情が芽生えて、イライザを妻よりも愛していると確信していったようです。十分な情報を得たわけではありませんが、私はこの男性は重度のうつ状態だったのではないかと推測します。

 AIが人の命を奪ったというだけでも衝撃的ですが、ここには重要な問いが隠されているように思えます。それはAIは人のこころを理解し、癒やすことができるか、ということです。対話型プログラムによってカウンセリングができるのではないかという試みは古くから行われていました。そして、1960年代後半にMITのジョセフ・ワイゼンバウムが開発したシステムの名前が「イライザ(Eliza)」でした。

 イライザはカール・ロジャーズによる非支持的療法(1940-50年代)をベースにしています。これは、繰り返し・感情の反射・明確化の3原則を用いて患者の自己に関する概念と経験を一致させる手法ですが、患者について詳しい情報を持っていなくても成立するため、AIの実装には最適だったのでしょう。例えばあなたが「今日は嫌なことがあって会社を辞めたくなった」とイライザに言えば、「あなたは会社を辞めたくなったのですね(繰り返し)」「それはつらかったですね(感情の反射)」「嫌なことについてもう少し聞かせてください(明確化)」という答えが返ってくるのです。

 現在では機械学習や深層学習によって会話がますます自然に感じられるようになっていますが、ワイゼンバウムが開発した初期のプログラムでも、「イライザと対話しているときは邪魔しないでくれ」と没頭する人々がいたようです(ワイゼンバウム『コンピュータ・パワー:人工知能と人間の知性』)。

 AIが人のこころを理解できるか、という問題は人間から見ると、相手にどう対応されると自分が理解されたと感じるか、ということと等価であると言えます。先ほどの3原則のその他にも、沈黙・承認(「頑張ったね」)・保証(「大丈夫」)・要約・解釈などのテクニックを組み合わせることでチャットボットとの会話がより自然になり、自分が理解されたと感じる度合いが高まるでしょう。

 しかし、それでも私たちは何かAIに欠けているものがあると感じるのではないでしょうか。最初の問いに戻ると、AIに理解されたと(あるいは理解されているように)感じても、癒されたとまでは思えないのではないでしょうか。ここに人が人を癒すことの秘密が隠されているように思えます。人間同士で行われるカウンセリングの治療過程では、患者側に変化が現れるのと同時に、治療者側にも変化が現れます。患者からの影響を受けて治療者が自身のこころの傷を思い出したり、叶えられなかった夢について考えたり、未来について思いを巡らしたりするのです。患者と治療者に起こる変化はすべて言葉によって表されるわけではありません。むしろ、十分に意識化されず表明されないことが多いでしょう。それでもお互いの「間」に変化が出るのを鋭敏に察知して、患者が癒されていくのではないでしょうか。そして、それは同時に治療者にとっても何らかの癒しの体験なのです。

 数年前、ある人気ミュージシャンが自身の楽曲を若い男女からマーケティングで得られた情報で作っていると表明して、大きな批判を受けたことがありました。私は個人的に、批判した人たちのセンスは間違っていないと思います。なぜなら、私たちは芸術に、アーティスト自身の痛みや喜びといったその人ならではの経験の発露に感情を揺さぶられることを期待しているからです。最大公約数的にまとめられた情報を詰め込まれても、それを芸術と呼ぶことはできないのです。

 あるいはこのようなことも考えられます。皆さんは「平均顔」をご存じですか?例えば日本人女性の顔を何百、何千枚と重ねていくと、個々人の顔が持つ顎のラインの不均一さや目の大きさの違いなどが徐々に解消されて左右差のない顔が出来上がるのです。確かに平均顔はきれいと感じられます。それでもどことなく人間くささが感じられません。この平均顔を好きになれるか?もっと言うと愛することができるか?それは難しいのではないでしょうか。私たちは平均からの逸脱を認めることで愛し合える、いやむしろ逸脱そのものを愛しているのではないでしょうか。

 以上のように考えると、癒すということは患者側のみならず、治療する側にとっても何らかの質的な変化を余儀なくされるものであり、それは決して量的なものではないと言うことができそうです。そして質的な変化には個別性があり、再現性が難しく、一期一会な経験でもあるのです。そう考えると、マニュアル化・効率化・数値化されていく現代社会に対して、私たちがなすべきアイデアを練ることができるのではないでしょうか。ご一緒に考えてみましょう。

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