• 2023年11月25日

メンタルヘルス医は、何のために仕事をしているのか?その意義は何なのか?

「自由・平等・博愛」(Liberté, Égalité, Fraternité)はフランス共和国の有名なスローガンですが、私は今まで歴史の教科書で習った程度の知識、つまりフランス革命を経て国是となった、くらいにしか考えたことがありませんでした。

 しかし、40代になりミドルライフ・クライシスに直面せざるを得なくなると、自分は死ぬまでに何をし得るのか、何を残せるのか、そしてどんな思い出を持って死ぬのかを考えるようになります。つまり、人生が積算から逆算モードに転換するのです。

 もし私の職業人生があと15年しかないとしたら、私は5年ずつの3部作に分けて生きたいと考えています。
 第一部:仕事の意義を確定する。
 第二部:仕事を充実させ、社会に貢献する。
 第三部:何のために仕事をしてきたか明らかにする。

 このように考えたとき、冒頭に申し上げた「自由・平等・博愛」は街中で診療するメンタルヘルス医にとって、仕事の意義を確定させる重要なキーワードのように思えてきたのです。

 前回のブログにも登場したエマニュエル・トッド氏によると、自由(個人主義)と平等(兄弟間で均等に親から相続する)の概念は、パリ盆地を中心とした農民家族のテーゼだったようで、これが王朝(ひいては教会による社会統制)の打破と共和制を築いたのでした。

 ただ、日本で暮らす我々の感覚(トッド氏に言わせれば権威主義的直系家族)からすると、「自由・平等・博愛」はあまりにも個人主義的で、慣れない我々が下手をすると、単なるイデオロギーの言葉遊びに陥る危険性があります(1960年代の学生運動を思い出してください)。

 そこで、私はこの3語の本質を失わずに、それでいて我々にしっくりとくる大和言葉に置き換えたいと思います。
 それが「個性・信頼・きずな」です。

 まず個性ですが、皆個性が大事だと言いますが、良く分からないで使っているのではないでしょうか。個性とは天から自分に与えられた唯一無二の特性・特徴だと思います。発達心理学的にとらえると、5歳くらいまでに完成する知・情・意で、万能感と幸福感をもった、まさに天衣無縫といった状態です。
 メンタルクリニックを受診する患者さんのほとんどは、この生き生きとした個性が抑圧されています。それは不遇な人間関係から、家族・学校・会社などの組織から、不条理な歴史や因習から来る抑圧です。私たちはまず、患者さんの個性の抑圧からの解放を試みなければなりません。

 次に信頼という言葉ですが、平等が大事と言いながら、社会はどんどん所得格差が加速しており、不信感や怒りを持つ人は少なくありません。「スタート地点だけは平等で、あとはどれだけ頑張ったかで違いが出るんだ」という説明もありますが、近年の研究では高い知的素因(IQ)は遺伝し、かつ高いIQを有する人は裕福であり、結果彼らから産まれた子どもは恵まれた環境で育つという知見があり、結局「氏か育ちか」の議論も氏で決まりそうな勢いがあります。

 しかし、もし結果的に差異が現れた(不平等)としても、私たちは互いを信頼することはできないでしょうか?具体的には損得勘定や上下意識を排して、相手を大切な人として接する。愉快な人、面白い人、という認識でも良いと思います。貨幣という数字に置き換えると途端に上下関係や暴力が産まれる(歴史的には奴隷制度)、とイタリアで客死した人類学者デイビッド・グレーバーは主張しましたが、信頼という態度は数字を寄せ付けません。

 最後のきずなですが、キリスト教で述べる「愛(特に隣人愛)」に一番近い大和言葉ではないかと思います。国語辞典には「きずな」は人と人との断つことのできない結びつき、離れがたい結びつき、と定義されていました。これこそ愛の本質ではないかと思います。私が授業を受けたカトリック教会のクラスでスペイン人神父様は、「愛とは相手に死なないでいてくれ、と祈る気持ちのこと」とおっしゃっていました。

 医者が患者さんに死なないでいてくれ、と願いながら診療するのは当然ですが、私は同時に患者さんが他の患者さんや主治医に対してさえも、死なないでいてくれ、と願えるようになることが、治療的なきずなの形成、言い換えると社会性の回復になるのではないかと思います。

 今回は、第一部『メンタルヘルス医の仕事の意義』を定義してみました。第二部は方法論になりますが、クリニック運営に大切な実践領域ですので、良く練ってからアップしたいと思います。

 

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