愛着障害と依存症の意外な関係
愛着障害は幼いときに受けた親子関係のトラウマがベースになって、うつ病や不安障害などさまざまな精神疾患をきたすことが知られています。この愛着障害が最近、依存症の枠組みでアプローチできるのではないかと考えられるようになってきました。
依存症の代表でまず思い浮かべるのは、アルコール依存症だと思います。アルコール依存症と愛着障害に何の関係があるか、不思議に思われる方がいらっしゃるかもしれません。ここで、ある自助グループの取り組みを見ていただきたいと思います。
アルコール依存に悩む人の自助グループであるAA(アルコホール・アノニマス)という団体があります。もともと1930年代のアメリカで、アルコール依存症を抱えた株式トレーダーのビルと外科医のボブが始めた、キリスト教的な教えをベースにした、匿名で自身の問題について「言いっぱなし、聞きっぱなし」の態度で語るという集会です(「無名のアルコール中毒者たち」、AAジャパン)。
これに対し、機能不全家族で育った人のグループであるACA(アダルトチルドレン・アノニマス)は、AAの教えを基盤として愛着障害を抱える人たちが匿名で語る集会となっています。
AAとACAには、それぞれ12ステップという条文があるのですが、お互い非常に似通っています。
この12ステップに通底しているのは、自分に絶えず不全感があって、自分や周りをコントロールしようとし過ぎた結果、人間関係や社会生活に問題をきたすようになったということです。内面的な不足を外部(お酒や他人からの評価など)によって補おうとしているところが、共通のメカニズムであると言えます。脳科学でも「報酬系」と呼ばれる、欲求を満たした時に活性化する経路の異常が、これらの疾患に共通していることが明らかになりつつあります。
それでは、なぜ、依存症や愛着に問題を抱える人は、内面に不足を感じるのでしょうか?共通して言えるのは、これらは「愛の病」であるということです。別に文学的にカッコつけている訳ではなく、その人の愛の感じ方に不具合があるから、苦しくなるのです
依存症の人も愛着障害の人も、幼少期の親子関係でつまずきの多かったことが知られています。小さいとき、特に就学前後までに親や周りから十分な愛を受け取れないと、愛されていることを信じることができず、成長してから常に自分に何かが不足しているような、不安定な気持ちになるのです。精神分析的な言い方をすると、幼少期のトラウマ(傷)に固着して、その代償をいつまでも外に求めるのです。
このような方を治療することは容易なことではありません。薬も症状をある程度コントロールはできますが、それに執着してしまう問題をはらんでいます。精神分析家のハインツ・コフートは子どもを育て直すように温かみを持って接することを強調しました。土居健郎の「甘え」の概念に近いかもしれません。しかし、これも医者や心理士に依存を引き起こす可能性があり、その解決には親離れと同じような愛憎劇を引き起こすのは避けられないと思われます。
これと異なり、冒頭に述べたAAやACAといった自助グループでは、むしろ依存の対象を「自分の信じるところの神(ハイヤー・パワー)」と位置付け、完全に概念化することで、具体的な物や人を断ち切ります。そして、ハイヤー・パワーに守られていることを自覚し、誰かをコントロールしようとする欲望を潔く放棄することを勧めています。
また、「自分の信じる神(ハイヤー・パワー)」に難しいことの決定を委ねるところに特徴があります。こうすることで、人生の大切な決断を間違えずに乗り越えられるというのです。ビートルズの「レット・イット・ビー」という歌で、困難な時にマリア様が現れて、「あるがままでいなさい」とおっしゃった、という歌詞がありますが、イメージ的にはそんな感じです。あるがままの自分を許せるか、いや、神様があるがままの自分を許してくださるか、そのくらい愛の問題を抱える人は、自分と切実に向き合わないといけないのです。
なお、AAやACAは患者・医者関係のような上下関係ではなく参加者は対等で、組織は寄附で成り立っており、かつ匿名でお互いを呼び合うことも依存を避ける役割をしています。
長々とAAやACAの特徴について述べましたが、これらの組織にもいくつか問題はあります。まず、一般の人(レイ・パーソン)の集まりであるため、感情的に大きな問題が生じた時に対応が遅れることがありえます。実際にはメンタルクリニックを受診しながらグループに参加するというのが、一般的な形でしょう。
また、もともとアメリカの教会をベースにして広まったため、キリスト教的な要素が多分にあり、日本では敷居が高いと感じる方もいらっしゃるかもしれません。実際、日本ではカトリック教会を会場にしているところが多くあります。
そして、愛の問題を真正面から取り組むことに、日本では照れくささや恥ずかしさがあるかもしれません。神(ハイヤー・パワー)という言葉に慣れない方もいらっしゃるかもしれません。
私事ではありますが、私は以前、スペイン出身の神父から「日本人がお茶漬けのような味付けのするキリスト教を発信できるようになってほしい」と聞いたことがあります。私なりに解釈すると、アジアの西側(正確にはイスラエル)で生まれたキリスト教をヨーロッパの人たちがバターで味付けしたように、日本に住む私たちも自分の風土にあった味付けをして良い、ということだと思います。
日本の近代化以来、生活や考え方の欧米化に重点が置かれ、こころの病気も欧米化したと言われますが、意外とこころにはアジアも欧米の区別もないのかもしれません。
「愛の病」の治療には私も悩みながら試行錯誤している段階ですが、科学よりむしろ人類が長年をかけて蓄積した文化や風習の中に解決のヒントがあるような気がしています。
アルコール依存症について
アルコール依存症と愛着障害の関連性について書きましたが、医学的に歴史が長く詳しく研究されてきたのはアルコール依存症の方です。
日本は比較的飲酒に寛容な文化と言われ、円滑なコミュニケーションにお酒は欠かせないツールと考えられる傾向があります。お酒にまつわる武勇伝の一つや二つを持っている方もいらっしゃるかもしれません。また、昔は「酒は百薬の長」と言われ、いまでも寝付けない時に強めのお酒を飲んで眠る方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、成人にとって安全な飲酒量は、1日5%の缶ビール500mlまでと、意外に少ない量なのです。これを純エタノール量に換算すると、1日20gになります。日本酒ですと一合、7%の缶酎ハイですと350mlが適量です。
さらに女性ですと、安全な飲酒量は男性の半分(純エタノール量1日20g)と少なくなります。これでは物足りないと感じる方も多いのではないでしょうか?
実際、日本には約1,000万人ものアルコール依存症予備軍がいると推定されています(厚労省調査より)。このハイリスク群は、日常的に純エタノール換算で60g以上(安全な量の3倍以上)摂取している人たちです。アルコール依存症と診断された人が100万人いると言われていますから、予備軍は実に10倍にも登るのです。東京都の人口より少し少ないくらいと考えると、いかにアルコールの問題を抱えた方が多いかお分かりいただけると思います。
このハイリスク群の人たちで飲酒量がどんどん増えてしまう、仕事や家庭で問題を起こしたことがある、お酒を飲まないと手が震える、などの問題を抱える人がアルコール依存症と診断されます。
「自分はADHDではないか、うつ病ではないか」と言って来院される方のなかにアルコール依存症が隠れていることも珍しくありません。辛い症状を和らげるために、いつしか大量飲酒するようになったのです。このような方にはADHDやうつ病の治療をするのと並行して、飲酒量を減らす必要があります。
以前はアルコール依存症の治療は問答無用で断酒でしたが、最近は依存症による身体やこころの問題が軽度であれば、患者さんが自由にお酒を減らす量を設定する【節酒】から始める治療が推奨されるようになりました。実際にクリニックに来院される方の多くは、節酒することで問題を減らせられることが多いと感じています。
また、内服薬ではセリンクロ(商品名)と呼ばれる、お酒を飲む1~2時間前に内服することでお酒に対する「渇望」を減らすことのできる薬も開発され、有望視されています。
とはいえ、一度できあがった飲酒の習慣や依存を改善することは、たやすいことではありません。患者様には少しでも飲酒量を減らすことができたら誉めることが大切ですし、うまくいかなくても来院できたことを歓迎するなど、クリニックには暖かな対応が必要になります。
このように依存の問題は根深いものなのですが、依存を引き起こすのはアルコールだけでなく、違法薬物、処方薬、そしてゲームや賭博などの行為も含まれます。特にゲームやネット依存は新しい依存症として注目されています。これらについては、いずれ当院のブログでご紹介したいと思います。