なぜ、こころのクリニックに通い続ける必要があるのか?

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心療内科やメンタルクリニック、と聞くと敷居が高いと感じる方が多いと思います。理由を伺うと、多くの方が「自分のこころをクスリでいじられる怖さを感じる」と言います。そのような思いがクリニックに足を踏み入れることに後ろめたさを覚えるのでしょう。「自分のこころを軽々しく扱われてたまるか」という思いが起きても、それは当然だと思います。

このようなことが起きる理由の一つとして、医学がからだの治療の発展に特化しすぎたことがあげられます。からだを細かく分析するという考えは古く、ギリシャのヒポクラテスの時代から外科治療はさかんに行われていたのです。私たちは医学生の時、解剖実習の前に『ヒポクラテスの誓い』を読まされました。「アルファにしてオメガなる解剖学」とも言われたくらい、医学にとってからだの構造は最重要なのです。

しかし、こころはからだの一部なのでしょうか?それとも、からだの働きの結果としてこころが現れるのでしょうか?いや、こころはからだと全く別な存在なのでしょうか?

こころとからだの関係については、様々な議論がされましたが、実はいまだに結論が出ていません。そして、多くの人がこころはからだとは違う、と直観的に感じているのです。

一昔前に、パワースポット巡りが流行りました。絶景のパノラマや長い歴史を経た宗教施設を見たりして、エネルギーをもらってくる。実はこころの治療とは、良質なエネルギーを患者さんに与えることではないかと私は思います。ここが、からだの治療と決定的に異なる点です。

『幸福論』や『眠られぬ夜のために』の著作で有名なスイスの法学者カール・ヒルティは、こころの悩みを持つ人の治療として次のような格言を紹介しています。

「苦悩する者にわれわれが提供しうるもっとも本格的な援助はその人の重荷を取り除くことではなく、その人が力いっぱい耐えてゆくことができるような最善のエネルギーを発生させることである」 (カール・ヒルティ『心の病を癒す生活術』、金森誠也訳、PHP研究所)

こころを診るクリニックは、まず患者さんから良いエネルギーが出るような環境を整える必要があります。ほどよい自然が感じられる場所、清潔さ、暖かみと穏やかさ。このような条件がそろって初めて患者さんから悩みを伺うことができます。そして、患者さんが最善のエネルギーを出すには薬を飲むことも重要だと同意するならば、処方をするのです。

このようにして患者さんが時には薬の力を借りながら自分のこころを立て直すには、それなりの時間と根気がいります。多くは病気の原因となった生活習慣や環境を変える必要があります。クリニックにはある程度の期間、通っていただく必要があるのも事実です。いちど良いエネルギーを得ても、それをずっと持続させるのは難しいからです。パワースポットに行った効果も長くは続かないように。

いかがでしたでしょうか?こころのクリニックに通い続けるのは辛いことかもしれません。経済的に不安になる方もいらっしゃるかもしれません。

幸い、日本の制度には医療費負担を軽減するサービスがいろいろあります。自立支援、精神保健福祉手帳、障害年金などです。また、傷病手当など休業時の給与補償もあります。詳しくは「こころの病気の福祉制度」のページでご紹介いたします。